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聾者、突発性、中途失聴、老人性難聴者などが送る様々な人生
作 武田ティエン
カトリック系の女子高で学ぶ佐藤美波は海岸での清掃奉仕活動の最中にコケルと言う名のサーファーに出会います。
もちろん、コケルというのは本名ではなくサーファーネームとでもいうものらしいのですが、このコケルさん、耳が聴こえるようで聞こえない、聞こえないようで聴こえるという、通称「サーファーズイヤー」の持ち主だったのです。
サーファーズイヤーとは、正式には外耳道後天的狭窄症という難聴の一種で、温度や体調などによって聴こえるときと聞こえない時が交互に訪れる病気であり、サーファーに多く見られるためにこの名が付いたものです。
何度かこのコケルさんに逢っているうちに段々惹かれていく美波なのですが、ある日ちょっとした事件が起こります。その事件にコケルさんのこの耳が関係してくるのですが・・・
このサーファーズイヤーに限らず、老人性難聴等になった方などが、「ちょっと耳が悪いくらいなほうが、聞きたくない音や声を聞かなくてすむから、却って都合がよい」などと冗談めかして言われることもありますが、この物語はそれについて少し考えさせてくれるものがあります。
(この本はさまざまな湘南風景を描いた短編集「湘南ノート」の中に収められている一編です。)
それでは、本文の中で少し心に残った一節をご紹介しましょう。
いつものように、コケルさんがもっぱら喋る。
「人はくだらないことを喋っているものだから、聞こえる必要もないと高を括っていたところがあったけど、そう言いながら一方では美波から来たメールには、くだらないブログもひとりの人間の意見としての意味はあるとかなんとか返信した。じつはその時だって、すでにぼくは自分の言葉を実践していないと勘づいていたんだ。くだらない言葉でも、なんでも聞かなくちゃ、よい知らせをきくことすらないだろう、と」
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