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 聴覚障害を扱った物語


言葉のない世界に生きた男

言葉のない世界に生きた男

著  スーザン・シャラー
訳  中村 妙子

一般的な聴者は生を受けると同時に親兄弟など身近な人間の声を聞き、それに伴う動作や周囲の環境を考え合わせながら、自然と言葉を覚えてしまいます。つまり格段な努力をしなくても幼いうちから言語というものを理解する事ができるわけです。
しかし、インデルファンソは生まれながらの聾者であり、しかも貧しく不法入国者の家庭に育ったせいで教育というものを一切受けさせてもらえませんでした。
彼は27歳のときにこの本の著者であるスーザン・シャラーにめぐりあうまでは、言語という概念そのものを理解することができない、まさに「言葉のない世界」に生きていたのです。
この本はスーザンとインデルファンソの言葉を習得する過程、一般的には教育と呼ばれる行為ですが、二人にとってはまさに格闘ともいえる毎日を、著者自身ができるだけ客観的な視点で捉えながら事細かに述べています。ある時は飛躍的に、ある時は遅々として進まない習得度合いに、教える方も教えられる方も一喜一憂しながら、それでも一歩一歩前に進んでいきます。27年間閉じ込められいた「言語のない牢獄」からなんとか抜け出したいというインデルファンソの願いと、なんとか自分と同じ世界に彼を導きたいというスーザンの思いはついには実を結びます。

自分が彼と同じ境遇に育ったら一体この世の中についてどんな思いを抱くのだろうか、などと考えるだけでもおぞましい気持ちがしますが、改めて言語というものに対して深い有難味を感じます。

聾者にたいする早い段階からの教育の必要性と共に、聾者にたいしては口話よりも手話教育のほうが遥かに重要なのだという事も教えられた一冊でした。

それでは心に残った一節をご紹介しましょう。

私はマイムとサインを組み合わせたダンスをただ際限なく繰り返してきたようなものだが、インデルファンソのその様子を見て、凍りついたように身を固くして、まじまじとみつめた。さんざん撫でさすったために消えかけている、黒板のC-A-Tの文字を背に、私はインデルファンソの解放の瞬間を目のあたりに見ていたのであった。
インデルファンソは彼の前に立ちはだかる壁を、ついに自力で押しやぶったのである。彼はついに理解に到達した。ヘレンケラーがかつてあの井戸端で手のひらにほとばしる冷たい水の感触にはっとして、それを師のアン・サリバンがもう一方の手のひらに綴ったW-A-T-E-Rと言う単語と結びつけたそのときに瞬時にして跳び越えたのと同じ川を、彼もいま跳び越えていたのであった。
そうだ、C-A-T には意味がある。ある人の頭の中のネコは、他の人の頭の中のネコと結びつくことができるーただネコと言う概念が把握できただけで。
この天啓の意味をゆっくりとかみしめているインデルファンソの顔は、波立つ興奮に生きいきと輝いていた。彼の頭はまず左のほうにめぐらされ、ついでゆっくりと右のほうに向けられた。はじめはゆっくりと、しかしやがてむさぼるように激しく、彼はまわりのものを次々に、まるで生まれてはじめて見るかのようにしげしげと眺めた。ドア、掲示板、椅子、テーブル、仲間の受講生たち、時計、黒板、そしてわたしを。
インデルファンソはテーブルを両手でピシャリとたたき、答えを求めるように私を見あげた。「テーブル」とわたしはサインした。彼は今度は本をたたいた。「本」とわたしはたちどころにサインを送った。わたしの顔は涙にぬれていた。その涙をぬぐいもせずに、わたしは「ドア」、「時計」、「椅子」といった具合に、彼の指さすものを次々に手話で表現した。けれどもそうしたものの名前をたずねはじめたときと同様に唐突に、インデルファンソはさっと顔を曇らせたと思うと、テーブルの上にいきなりつっぷしてさめざめと泣いた。ちょうど揺りかごのような形に手を組み合わせ、彼はその中に頭を埋めていた。


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