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 聴覚障害を扱った物語


耳の聞こえないメジャーリーガー ウィリアム・ホイ

耳の聞こえない子がわたります

文:ナンシー・チャーニン
絵:ジェズ・ツヤ
訳:斉藤 洋

アメリカのメジャーリーグは1876年に始まったと記録されていますが、この年は日本ではまだ明治時代であり西南戦争の前年に当たる年ですから、とにかく日本のプロ野球とは比較にならない歴史があるわけです。
ウィリアム・ホイが初出場したのは1888年ですから本当にメジャーリーガーの草分け的な存在なのですが、彼は子供の頃に髄膜炎を患って耳が聞こえなかった聴覚障害者でした。 靴屋の職人として働いている時に偶然野球の才能を見初められてスカウトされたのです。

運動能力は素晴らしいものがあった彼も、耳が聴こえないせいでいろいろな苦労をしたようです。審判の声が聞こえず三振したにもかかわらず打席から離れなかったというエピソードから、ストライクやボール、アウトやセーフといった野球ではおなじみのジェスチャーが彼の提案によって実現されたことなどが紹介されています。

この本は、彼の伝記をこども用に分かりやすく絵本にしたもので、大人なら15分程度で読み切ってしまえるものですが、絵であるからこそ面白い発見もできます。なんと野手がグローブを嵌めてないんです。調べてみると、どうも初めの頃は素手でやっていたようですね。そしてだんだん革の手袋をはめるようになり、なかにクッション材をいれるようになり、今のような形へと変遷してきたもののようです。ユニフォームのデザインや審判の服装なども面白いので野球好きなら見るだけでも楽しい絵本だと思います。

それでは、本書の中で心に残った一節をご紹介しましょう。

スター選手になったウィリアムが、ある日、外野に走っていくと、観客たちがみな、立ち上がって、両手をふってくれました。かつて、おかあさんがそうしてくれたように。
野球でどんなつらいことがあっても、けっして泣かなかったのに、このときばかりは、なみだが目からあふれました。
審判のジェスチャーや、選手のサインプレーなど、それまでになかったことが、試合でおこなわれるようになっっということ。それはウィリアムのおかげです。
ウィリアムの努力で、試合のやりかたがかわったということです。



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