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 聴覚障害を扱った物語


ベートーヴェンの耳

ベートーヴェンの耳

著   江時 久

「楽聖と呼ばれるベートーヴェンは、耳が全く聞こえなくなったにもかかわらず、素晴らしい音楽を作曲して後世に残してくれた」という通説に対して、自らが難聴者でもある著者はベートーヴェンの耳は自分と同じ種類の耳硬化症という特別な耳であり、日常会話などは無理だけれども楽器の音などは聞こえていたのではないかと推論しています。

この本は、ベートーヴェンの逸話などを自らの経験に重ねあわせながら、ベートーヴェンが生涯独身であった理由や、偏屈とか傲慢とか言われて、偉大な音楽家として尊敬を受けながらも、一方では煙たがれていた性格なども、耳硬化症による難聴のせいだったと結論づけています。

健聴者の多くは「耳が全く聞こえない『ろう』と比べたら、ある種の音だけは聴こえるという軽度の難聴であれば、それほどのハンディではないだろう」と、とかく考えがちですが、この本を読むと、中途半端な難聴であるがゆえに本人が味わってきた痛みや悔しさがひしひしと伝わってきて、難聴の軽重だけで障害の重みを判断できない事がよく分かります。
例えば、思春期に異性との会話の中で聴き取れない言葉があれば『聞こえないからもう一度言って』と言えばいいのにと誰もが思いがちですが、それを言うのは死ぬほどの屈辱だと著者は述べています。
ある時は聞こえて、またある時は聞こえない耳というものは、非常に誤解を招きやすい耳だということも教えられます。

この本は、ベートーヴェンの耳に対する考察というよりも、ある難聴者の伝記としてとらえたほうが良いのかもしれない、それにしても、十分に読み応えの有る一冊だと思います。

では、本文の中から心に残った一節をご紹介しましょう。

眼鏡は、どこにでも店があるし、検眼室に座って視力検査をすることができる。一時間もあれば、自分の耳に適する眼鏡を入手することが可能だった。
ところが、耳のこととなると、なにしろ聴覚障害というのは外見からはわからないし、私の子供のときには学校でも聴力検査がなかったほどだから、いまになっても「ろう」と「難聴」の言葉の区別についても知らない先生が多く、まして伝音系難聴とか感音系難聴とかの言葉は、障害者自身でさえもわからないぐらいで、聞いたこともない人が多いのだった。
補聴器については、手に取ったこともない人が多いのに違いない。
耳硬化症という、難聴の中でも特別な性質の病気について、普通に理解できるものが、新聞記者の中にも、そんなにいるとは思えなかった。
「ベートーヴェンは耳硬化症だった」
私の不安は的中して、その記事の解説は、最初から中耳と内耳を混同していた。
----途中省略----
二百年前の人であるベートーヴェンの耳が聞こえなくなったという不幸な事実については、この地球上の何億人という人達が同情してきた。しかし、なぜ、ベートーベヴェンの耳が聞こえなくなったのか、その病気はなんであり、その病気の原因がなんなのか、それを正確に知った者は、どこにもいなかった。ようやく二十世紀の終わりに近くなって、ジコイウカショウだと結論づける見解が現れたのだった。私には、その結論は否定のしようがないものだった。


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