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「無い」ことを証明するのは無理ですが「限りなく無に近い」となら断言できます

明確に証明できない限り

それは無いに等しい

幽霊はいません

幽霊とは

幽霊とは死者の魂が何らかの目的を持ってこの世に現れるものを言います。
その目的とは、この世の誰かに対する恨みを晴らすためや、残してきた子供や愛人に対する執着とか、子孫などに大事な事を伝えるため等々で、とにかく「死んでも死にきれない」魂が生者の前に形を現わすことになります。まあ、中には面白半分で「ひとつ誰かを驚かしてやろう」というのもあるかもしれませんが、そういうのはお化け屋敷に就職でもしてもらうのが良いかもしれません。

幽霊はいない
さて、古今東西、「私は幽霊を見た」という話は山ほどあります。多分知り合いの中に一人ぐらいはそういう人がいるのではないでしょうか。
では、本当に幽霊はいるのでしょうか。 もちろんいません。


死後の世界がなければ幽霊も存在しない

私は「死後の世界」について、そんなものは存在しないと思っています。ということは、幽霊も存在しないことになります。 幽霊とは、まだ死後の世界に行くことができない(所謂成仏できない状態)宙ぶらりんの状態か、あるいは死後の世界からこの世にやってきた状態なのか、そのどちらかだからです。
幽霊の存在を認めるということは、取りも直さず死後の世界というものがあることも認めることになりますので、幽霊の存在を否定する根拠は死後の世界を否定した理由と同じです。

なぜ、堂々と現れないのか

もちろん、実際に幽霊を見た人から言えば、「とにかく見たんだから存在するんだ」ということになるのでしょう。
しかし、実際に見たという話を聞いても、ほとんどは曖昧なものでしかありません。現れる場所といえば夜や暗がり、つまり物体が曖昧にしか見えない環境でないと現れないのです。しかも、その姿かたちはぼんやりしていて、色は無彩色で半透明というものが多いのです。 白昼堂々、大勢の見ているまえに極彩色で出現するということはありません。

「今は夜で、あなたの姿もよく見えませんので、申し訳ありませんが、明日の昼頃にまたいらしてください」といっても、「はい、そうですか、じゃあまた出直します」などという幽霊はいませんからね。本当に幽霊がいるのなら堂々と現れてもなにも問題は無いはずです。なにもコソコソする必要はないでしょう。

幽霊の正体

幽霊の正体は、目の錯覚か、夢か妄想、つまり脳が勝手に作り出した虚像でしかありません。
この「なぜ人間は幽霊をみてしまうのか」については、認知心理学や大脳生理学の分野でいろいろな解説がなされていますので、そんな文献をみていただくと「なるほど」と納得していただけると思うのですが、基本的には人間が自己防衛本能の一つとして「人の顔や目に敏感である」ことが原因のようですね。

何かの模様が人の顔に見えてしまうという経験は多くの人がお持ちだと思います。最近は天井もクロス張りが増えてきましたが、昔は寝ながら見上げる天井板の節や木目が人の顔にみえてしまって泣きだす子供も結構いたようです。それが暗がりにぼんやり現れたらなおさらでしょう。

柳の下の幽霊

日本人が想像する幽霊の典型的なものが、柳の下で足の無い若い女が長い髪をざんばらにして「うらめしや~」とやっている姿でしょう。

私はいつも柳をみると、これは幽霊と見間違えても無理ないなと思ってしまいます。ご存知のごとく、柳の葉は少しの風にもゆらゆらして自分で動いているよう見えますし、柳の葉も地面までは垂れませんからまるで足のない人が宙に浮いているように見えます。あれで葉の模様が少しでも人の顔に見えさえすれば、ちょっと怖がりの人なら「出た~」となっても不思議はありません。 しかし、あれはやっぱり柳にすぎません。

幽霊はいない2

いままで、たった一つでも幽霊を確認できた例がない。

またまた、同じことを云うようですが、「幽霊は存在しない」ということは悪魔の証明になりますから、これは立証できませんが、存在する証明なら、たった一つで良いので確実は証拠さえあればよいのです。

もちろん一番良いのは、幽霊がテレビ出演して「こんにちは、私は〇〇で、今は〇〇の目的でやってきています」と言ってくれることです。そうしたからと言って、幽霊の側に特別困ることも無いと思うのですが。
相手は特定の人に限り、暗がりでちょっとだけ姿をあらわすから、その真偽が疑われるわけです。不特定多数の前に明るい場所で姿を現した、という報告が一つでもあれば私も幽霊の存在を信じてよいのですが、それが今までに一つも無いことが「幽霊などは存在しない」と考える一番の理由です。


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