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「無い」ことを証明するのは無理ですが「限りなく無に近い」となら断言できます

明確に証明できない限り

それは無いに等しい

Example of 悪魔の証明

池袋車暴走事件の弁護は悪魔の証明を利用したもの

2019年4月に東京都豊島区東池袋で80代高齢者男性が運転する自動車が暴走し赤信号を無視して交差点内の横断歩道に突っ込み母子二人の死亡を含めて9人の被害者をだした事件がありました。
加害者男性が高齢の上に持病もあったことから「よくあるアクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走事故」と思われたにも関わらず逮捕勾留されなかったことで、上級国民ゆえの差別ではないかと盛んにマスコミも攻撃したあの事件です。

池袋車暴走事件
この池袋暴走事件の刑事裁判で、被告人および弁護人は「車に何らかの異常があった」とし、無罪を主張しました。

要は、「私は悪くない、車が悪い」ということです。
これがまさに悪魔の証明を利用した弁論なのですが、「車はなにも悪くない」と証明するのは「車に欠点が無いことの証明」つまり「無いということの証明」なので、これは無理なわけです。

同形式の車はかなりの数量販売されており、これまで同様な事故は起きていなかったでしょうし、同形式の車で同じ条件で再現実験しても車の異常は発見されないでしょうし、事故車両をくまなく調べてもブレーキ関係に異常はなかったでしょうから、それを元に「車に問題はない」ゆえに「加害者の過失である」と検察側は主張するでしょう。

しかし、事故当時に事故を起こしたその車になにも異常がなかったなんてことは、とても証明できません。
被告側が言うように、車に異常があった確率もゼロではないからです。限りなくゼロに近いとしてもゼロとは言い切れないのが「悪魔の証明」の凄いところです。

しかし、この論理がいったんまかり通ると、今後交通事故を起こした加害者はみんな車のせいにしてしまえば罪を免れる事になってしまいます。果たして裁判官はどのような判断をするのでしょうか。

池袋車暴走事件


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