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白い日本犬といえば「紀州犬」だけど、ぼく・・勝手にホームページを作っちゃった

 

霊犬早太郎由来記

まずは最も公式なものからご紹介しましょう

霊犬早太郎のふるさと光前寺には石像と碑文が建てられています

長野県駒ヶ根市にある宝積山光前寺には境内の三重塔前に霊犬早太郎の石像が建てられており、右横に霊犬早太郎由来記と刻まれた碑文が並んでいます。昭和32年に(多分早太郎没後650年を記念してのものだと思われますが)作られたこの碑文に書かれたものが最もオフィシャルものだと言って良いでしょう。

碑文に書かれている文面は以下のとおり

霊犬早太郎由来記

早太郎は別にへいぼう太郎の名に呼ばれ光前寺に成長して性(はなは)精悍怜悧(せいかんれいり)であった
今から六百五十年前の或日遠州見付(えんしゅうみつけ)天神社の社僧弁存が寺門を(たず)ね請うて云うに
当社に人身御供(ひとみごくう)の神事があり妙齢(みょうれい)の婦女を犠牲にし従わざれば(たちま)災厄(さいやく)身に及ぶを()って里村のもの(ことごと)く恐怖す
一夜(ひそ)かに社殿に(うかが)えば()たして一怪物現れ信州光前寺へいぼう太郎に知らせるなと口吟(くちずさ)みつつ踊り(いつ)に早太郎を恐れ警戒す
(ねがわ)くば往きてこれを退治し里民の難を救わんことを望む
早太郎勇躍(ゆうやく)して見付に至り(すなわ)ち自ら白木の(ひつ)に入り人身御供とし社殿に運ばる
夜更けて怪物現われ(ひつ)を破る
早太郎(おど)り出で激闘数時()いにこれを(ほろぼ)
夜明けて里人大挙して至り見るに庭前(さん)とし白毛を生したる年古(としふ)るき狒々(ひひ)残骸(ざんがい)が横たわって居た
()くて早太郎は天龍山谷を一気に長駆(ちょうく)して帰ると(つた)えらる
昭和三十二年四月  光前寺第三十八世大僧都 道宣 書


 


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