明応の頃
といっても 殆どの人は いつのことやら と思われるかも
ぼくは知ってる
1492年から1500年まで つまり室町時代のはじめ頃
なぜぼくがこんなにお利口さんかと言いうと
「年号電卓」というアプリを使ったから
(だから アプリがお利口さんなだけで
ぼくは アプリの威を借る狐 ならぬ犬ってなわけ)
そんなことはどうでもよくて
要は その頃に
七匹の子鹿を連れた子孕み鹿を撃ち殺した悪い狩人がいて
殺された鹿が観音様に変身したものだから
急に前非を悔いて その後は良い狩人になった
という話がある
どこに有るかというと 愛知県の小牧山
そこに 観音洞(かんのんぼら)という場所がある
観音堂が洞のなかにでも有るのだろうと思いがちだが
行ってみると 石碑がひとつ建っているだけでなにもない
石碑には 間々乳観音が現れた場所であると書いてある
これじゃあなんにもわからないので 振り向くと
そこに立て看板があった
文字が見えないので近くに寄ってみる
ははん なるほど と ここに至って初めてこの場所の由緒が理解できる
が 理解できないのが 狩人の心
狩人は乳のでない妻に なんとか栄養のあるものを食べさせようと狩りにでる
乳のでない妻というんだから 当然 乳飲み子があり おなかを空かせている
狩人の仕事は 獣を撃つことだから まさに 自分がすべき事をしに出かけた
一方 狐はご存知のごとく ぼくと同じく肉食派
毎日 鳥やウサギや野ネズミなぞを食べて暮らしている
このお母さん狐も 子供が7匹もいて お腹にも子供がいるんだから
頑張って 狩りをしていたに違いない
この狐も 自分がすべき事を 当然のようにしていた
そして偶然というか必然というか
狩人にとってはタイミングよく
狐にとってはたタイミング悪く
当然すべきことをしていた者同士が出くわして
庄屋さんには頭に上がらない狩人が
庄屋さんに強い狐を殺してしまった
子狐が石になろうが 母狐が観音様になろうが
そんなの関係ねえ(また出ちゃった そろそろ止めよう)
狩人は殺生を悔いる必要なんて全くない
だって 狐を撃たなけりゃ 自分の子供が死んじゃうかもしれないんでしょ
狐だって それは無念だろうけど
狐がウサギを捕まえた時に ウサギ観音に化けたからといって
それから先は殺生を悔い改めて狩りを止めちゃったら 子狐が困るわけで
生物が食物連鎖の輪の中に生きている限り仕方がない
そう思わなきゃ ぼくだって安心して食べ物を食べることはできない
人間に殺生を避けて菜食主義の人がいるらしいけど
お寺の 精進料理なんてのもそうだけど
動物だけが生き物で植物は生き物ではないという理屈は全くもって合理性がない
自分に都合の良いように理屈をつけただけ つまり屁理屈ってやつ
そんな屁理屈は止めて
ぼくだって生きていかなければいけないんで あなたを食べちゃうけどゴメンネ
と考えるしか仕方がないんじゃないの ホント
だから 一番いけないのが 生き物を殺して食べることじゃなくて
食物連鎖の下位生物の犠牲の上に成り立っている食べ物を
食べずに残して捨てちゃうこと
聞くところによると
学校給食の現場では 実際に必要な数量に対して
なにかトラブルがあった時に備えて 予備食を作っているらしい
それも半端な数ではなく
1000食の給食を作る給食センターなどでは50食程度あるらしい
もちろんトラブルなどは年に1,2回有るか無いかなので
毎日 その予備食は廃棄処分とされるらしい
もったいないからと それを給食関係者が家に持って帰って
お家のワンちゃんにあげると罰せられる
そういう予備食を作っておかないと
なにかトラブルが有った時に
給食がもらえなかった子供が可哀想だとか
親から文句がでたら誰が責任をとるんだとか
そんな事で 此のシステムは作られて 運営されている
こんな事こそ悔い改めて
給食観音などをお祀りする必要があると思うんだけどね
食べもんの事となると ぼくも興奮して少し脱線したけど
例の観音洞にあった観音堂は 乳観音として近くに移転して
「おっぱい寺」として有名な「間々観音」になっている
このページの真ん中辺りに載っているから見てみてね
日本の3大随筆って知ってる?
方丈記と徒然草と枕草子なんだってさ。
犬の小学校で習ったかな?
で、随筆って何かというと、
とにかくなんでもいいんで、
ダラダラ書いたやつらしい。
それなら・・
てな訳で書いたのがコレ。
細かいことは気にしないでね。
なんてったって犬だから・・
じゃあね ワンワン!