狩野と言えば
そう 狩野英孝
ラーメン・つけ麺・僕イケメン
え 違う?
じゃあ 狩野舞子
日本女子バレーで活躍してる可愛い子
違うの?
あとは知らない
狩野永徳?
ああ なんとなく聞いた気がする
犬の小学校でも習ったかな?
国宝「洛中洛外図」とか・・
それがどうしたの?
その狩野永徳のお祖父さんを知ってるかって?
知るわけ無いでしょ そんなの
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さて
日本で一番有名な画家集団といえば「狩野派」
(画家集団とはいっても 集団的自衛権とは関係ないからね)
その狩野派の祖と言われるのが 狩野元信
(元信と言っても中日ドラゴンズの谷繁元信とは違うからね)
ま その狩野元信が先の狩野永徳のお祖父さんってわけ
実はこの元信くん
一度 ドタキャン事件を起こした事がある
東海道の旅の途中で ある人に絵を描いてくれと頼まれた
もちろん プロの画家(当時は絵師といったかな)だから
それなりの報酬を用意されていたわけだから
口約束とはいえ立派な業務委託契約が結ばれたわけ
時は室町時代中期 場所は現在の三重県 鈴鹿と亀山の中間あたり
山肌に奇岩が並び立ち それが新緑に見事に溶け込んだ風景が気に入って
さっそくそこに腰を据えて写生することにした
ぼくも犬の小学校の時に写生大会で頑張った記憶があるけど
途中まで描いたときに周りのだれかにけなされたり
遊びのちょっかいをかけられたりして 途中で投げ出しちゃったことが有る
もちろん元信はプロだからそんな事は無いんだけど
写生を始めたのが夕方近くだったから その日はラフだけにして
仕上げは翌日ということで宿に帰り 散々飲み食いして寝てしまった
明くる日 さあ描きかけた絵の仕上げをしようと 昨日の場所にきてみれば
なんと 昨日見ていた風景と なんとなく感じが違う
一夜にしてこれほど違うとは此れ奈何
ま 春というのは黄砂も飛んてきたり ついでにPM2.5に見舞われたり
いろいろ変わり易い季節なんだけどね
ぼくなら見てる風景が多少変わろうがどうしようが そのまま描いちゃうんだけど
さすがに というか 気が短いというか
「こんなに変わっちまうなんて やってらんねー」とばかり
持っていた筆を投げ捨ててしまった
法律用語で言うと 契約不履行ってやつ
それ以来 ドタキャンといえば和泉元彌か狩野元信かと言われるようになったけど
そんな事とは関係なく 狩野元信はどんどん実力も付け有名になっていった
その時に描こうとしていた山も いつのまにか
土地の人々が「筆捨山」と呼ぶようになっていた
元信が有名になるに従って 筆捨山のほうも有名になり
東海道の観光名所として あの広重の「東海道五十三次」にも描かれるようになる
もちろん ぼくのご先祖も その時代に行楽に訪れたことが有るらしい
鈴鹿峠で道に迷っている所を
馬子唄を歌いながら通りがかった馬子さんに出くわして
一緒に峠の茶屋まで案内してもらったらしい
ほら 広重の絵にも載ってるでしょ ぼくのご先祖さんが
そのときにご先祖さんが詠んだ句が
馬曳かれ 筆捨ての山 我疲れ
ちなみに現在の筆捨山の写真はこちら
日本の3大随筆って知ってる?
方丈記と徒然草と枕草子なんだってさ。
犬の小学校で習ったかな?
で、随筆って何かというと、
とにかくなんでもいいんで、
ダラダラ書いたやつらしい。
それなら・・
てな訳で書いたのがコレ。
細かいことは気にしないでね。
なんてったって犬だから・・
じゃあね ワンワン!