霊魂、UFO、超能力など世の中で信じられている摩訶不思議なものなどは存在しないことを証明したいのですが、それは「悪魔の証明」で不可能です。しかし逆に、実在を証明する事はたった一例を挙げれば済むことです。その一例さえ無いことが存在の反証となるのではないでしょうか。
実社会ではいろいろな場面で悪魔の証明が使われています。以下のその実例です。
■ 池袋車暴走事件の弁護は悪魔の証明を利用したもの
■ 森友学園問題で安倍首相が力説した悪魔の証明
世の中には、幽霊、生まれ変わり、宇宙人、テレパシー、念力、妖怪、透視などなど、いわゆる「摩訶不思議」と言われるものが数多くあります。
それぞれの存在の有無について賛否両論があることはご承知のとおりですが、どれも決着はついておりません。
それも当然。どの不思議現象にたいしても、無いことを証明することができない(=悪魔の証明)ために完全否定ができないからです。
例えば、「幽霊などは存在しない」といくら声高に叫んだとしても、「私は現に見たことがあるし、絶対に存在しないという根拠は無いでしょ。」と言われればそれまでですね。その他の不思議についても全てそうです。どうしても完全否定することができないのです。
完全否定し得ないために、昔からずっとそのようなものが存在すると信じる人はいました。そして現代、これほど科学が発達し、昔なら不思議な現象であった物事もその原因が解き明かされ(不思議でもなんでも無い)単なる自然現象だとわかりつつある今日でも、いまだに摩訶不思議なものを信ずる人の割合は減少する気配がありません。
減少どころか、逆に増えているように感じるのは、科学万能の物質文明への反発から人々が精神的な拠り所を過度に求め始めた為なのでしょうか。それとも商売優先のマスメディアが(完全否定出来ないのをいいことに)不思議現象の存在をことさらに取り上げているためなのでしょうか。
しかし、もうそろそろ「悪魔の証明」の呪縛から解き放たれて、「無いものは無いもの」と認識を改めてしかるべき時かと思います。
では、どうしたら「悪魔の証明」の呪縛から解放されるのでしょうか。論理的に否定するのは困難です。だからこそ未だに論争の種になっているのですから。
私は、呪縛を打ち破る武器は「常識」だと思っています。常識とは「ほとんどの人が共通して保有している認識や知識」です。ほとんどの人ですから、ほんの一部の人は違う認識を持っているかもしれません。例えば、「他人の物を盗んではいけない」というのは常識とされていますが窃盗犯はあとを絶ちません。
このサイトでは世の中にある摩訶不思議な存在や現象を常識でもって否定したいと考えています。
ただ、これは私自身の考えを勝手に述べているだけで、決して論争しようとか論争に決着をつけようと思っているわけではありません。違う考え方をお持ちの方は「そんな考え方もあるんだ」と無視してスルーしていただければ幸いです。